1940年代
発足間もない日本プロ野球界の中で、大阪タイガースは球界を代表する球団であった。しかし、球団も球界全体も歴史の波には抗えず、多くの名選手が戦争に応召され、そして多くが戦死していった。
興行自体が存続の危機の中で、プロ野球界は1944年まで実施された。終戦明けて1946年から、すぐにプロ野球は復活した。まだ、甲子園球場も接収されたままであり、多くの選手が散り、各球団とも戦力がなかなか揃わない環境であった。しかし、野球みる社会の視点も大きく変わっていた。
1940年
チーム成績
104試合 64勝 37敗 3分 .634
順位
2位
監督
松木 謙次郎
タイトル獲得者
投手
なし
野手
田中 義雄 (ベストナイン)
記録達成者
8/3 三輪 八郎 ノーヒットノーラン(対巨人戦)
その他特記事項
9/28 タイガースを阪神と改称
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1941年
チーム成績
84試合 41勝 43敗 0分 .488
順位
5位
監督
松木 謙次郎
タイトル獲得者
投手
なし
野手
なし
記録達成者
なし
その他特記事項
12月 若林 忠志 監督就任
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1942年
チーム成績
105試合 52勝 48敗 5分 .520
順位
3位
監督
若林 忠志
タイトル獲得者
投手
なし
野手
なし
記録達成者
なし
その他特記事項
なし
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1943年
チーム成績
84試合 41勝 36敗 7分 .532
順位
3位
監督
若林 忠志
タイトル獲得者
投手
なし
野手
なし
記録達成者
なし
その他特記事項
8/6 甲子園球場の大鉄傘撤去開始
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1・2・3