阪神タイガース名場面集【2】
過去の名場面を紹介しております。
阪神ファンには忘れられない場面を多く紹介していきます。
2001年 ノムさん迷った代打広沢克実 サヨナラ劇で「次は六甲おろし」
指揮官が言うとおり、カーブは打てない。ならばと狙ったストレート。快音を発したバットから弾き返された打球は、センターの頭上を楽々越えた。
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2001年 松井キラー出現その名は?
阪神が21年ぶりのリーグ優勝を果たした1985年オフのドラフトで1位指名を受け、入団した遠山さんは1年目、高卒ルーキーながら8勝(5敗)をあげます。
「将来のエース」と騒がれましたが、翌年からは鳴かず飛ばずで、91年にはロッテにトレードされます。
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2002年 星野仙一&田淵幸一 アベック退場
同点で迎えた6回裏、1死2塁。バッター・仁志敏久のあたりは平凡なサードゴロ。三塁手・片岡篤史が捕球し、一塁へ転送。タイミング的にも全く問題なくアウトだ。
が、二塁走者・斉藤宜之が三塁へ走る。それを見たアリアスがすぐに三塁へ送球する。すると一塁塁審の上本孝一審判は、アリアス選手の足がベースから離れたと判断してセーフをコール。この判定にまずはアリアスが猛抗議。その姿を見た星野仙一監督もベンチを飛び出した。
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2003年平成の3連発
新たな歴史が刻まれた。浜中、片岡、そしてアリアス。球団史上7度目の3連発だ。あの日、あの歓喜に包まれた瞬間から6596日の時を経て、猛虎の男たちが再びキバをむく。闘将が吠えた。「再来はない。新生タイガースなんや!」。そう、今度はオレたちが伝説になる。
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2003年 巨人原監督辞任セレモニーを甲子園で
このシーンは猛烈に感動ものだった・・・。あの伝統の阪神巨人戦でのセレモニーよ。
それぞれ好きなチームというのはあるのだろうが、まず「野球が好きだ」という気持ちが甲子園一杯に溢れていたような気がした。
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2003年 18年ぶりのリーグ優勝!甲子園で歓喜の胴上げ!
9月11日の引き分け試合で阪神のマジックは2。それから3連敗。地元甲子園でマジック対象の広島カープとの23回戦を迎えることとなった。
2003年9月15日 先発オーダー「敬老の日」ということでOB会長である安藤統男氏が始球式。広島・河内投手、阪神・伊良部投手で14時3分、5万3000人の観衆の前で試合は始まった。
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2005年 怒りの一撃!中村豊 阪神優勝を呼んだ最後の本塁打
どうしても打ちたい、いや打たなければならない打席だった。その思いがバットに乗り移ったかのように、打球は左翼ポール際まで飛んだ。そして切れずにスタンドに着弾した。二塁を回って、初めて本塁打だと確信し、右腕を高々と上げて思わず雄たけびを発した。
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2005年 2年ぶりの優勝をまたしても甲子園で決める
29日の試合前の段階で優勝へのマジックを「1」としていた阪神。勝てば文句なし、負けてもマジック対象チームの中日が横浜に敗れるか引き分けなら優勝が決まる状態で臨んだ甲子園での巨人戦で、見事に5-1で阪神が勝ち、2年ぶり5回目のセ・リーグ優勝(1リーグ時代からの通算は9回目の優勝)を決めた。岡田監督は1軍の監督としては初めての胴上げとなった。
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2006年 「凄いボールに凄いスイング」150キロ勝負!スタジアムは震えた
初球、内角高め153キロ、空振り。2球目、内角高め151キロ、空振り。3球目、外角やや高め152キロ、ファウル。4球目、真ん中高め151キロ、空振り三振。「僕も数々のボールを受けてきたけど、凄いボールに凄いスイングやった。参ったよ」。球界一とまでいわれた名キャッチャー、ヤクルト・古田敦也捕手の口調は興奮していた。
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2010年 矢野引退試合での悪夢
阪神・矢野燿大捕手が現役引退を決意。この日球団フロントと話し合いを持ち、3日に発表ということで決定した。「去年働けなくて、今年も働けなくて悩んだ。心技体が全部あって初めてできる仕事。すべての面で1軍の戦力になることはできなくなってきた」。
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2013年 桧山最終打席で引退弾
これが本当に現役最後の一振りなのか-。今季限りで引退する阪神桧山進次郎外野手(44)が、鯉の守護神ミコライオから代打2ランをかっ飛ばした。
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