小林は江川事件により巨人への未練に苛まれながらも「ジャイアンツだけには負けたくない」と思うようになり、巨人戦に合わせて自分のローテーションを組むよう、監督のドン・ブレイザーに直訴。
開幕2戦目となる4月10日の甲子園球場での試合を皮切りに、巨人戦8連勝を飾り「巨人のエースの怖さ」をまざまざと見せ付けた。トレード前、小林には「自分はジャイアンツに必要なピッチャーなんだ」という自負があったが、江川との交換要員となったことで「小林を出してでも江川を獲りたい」、「小林よりも江川のほうが戦力になる」と球団側が判断したのだと考え、プライドを大きく傷つけられていた。
巨人戦に登板した時の小林は普段見せるクールな態度を捨ててベンチ裏で声を出して気合を入れるなど、闘志をむき出しにした。また、巨人戦に登板する日はピリピリした雰囲気を漂わせ、新聞記者は球場入りした姿を見ただけで小林がその日の試合に先発することがわかったという。
この年、小林は22勝、防御率2.89という成績を挙げ、2年ぶりに沢村賞、ベストナインを獲得した。
移籍2年目の1980年8月16日、後楽園球場で行われた巨人戦で初めて江川と投げ合った。3失点で完投した江川に対し小林は5回4失点で降板、試合は巨人が勝利し江川が勝利投手となった。試合後、江川が興奮した様子を見せたのに対し、小林は以下のようにコメントした。
こういうことはね、早く終わったほうがいいんだよ。大体、ふたりの投手が投げ合っただけじゃない。それなのにカメラにずっと追いかけられて、無駄な写真もいっぱい撮られて晒し者にされたような気分だったからね。……まぁ、僕の野球人生における煩わしいことが、これで終わった。あの子(江川)が勝ってよかったのかもしれない。負けていれば、何を言われるかわからないしね。
小林は「去年ぶつかっていたら、こっちが勝っていたね。でも何か、巨人に対する意識が自分の中で変わりすぎちゃったよ」とも語った。近藤隆夫によると実際に小林はこの頃から、巨人戦の前であっても以前のようにピリピリした雰囲気を漂わせなくなった。
近藤は、「小林が心底から燃えてマウンドに立つことができたのは実際のところ、移籍1年目の79年だけだったのかもしれない」と述べている。1980年以降も小林は毎年2桁の勝利数を挙げたが、巨人戦では5勝15敗と負け越している。
小林によると、1980年以降巨人で若手選手が台頭して「同じジャイアンツのユニフォームを着ている別のチーム」になってしまったことも、当初の「みなぎるような気持ち」が薄れることにつながったという。